【勧進帳】タモリの伝説の弔辞 大恩人 赤塚不二夫への思い


2008年8月2日、タモリの才能を見抜き、地元・福岡から上京させて、自宅マンションに居候までさせた漫画家・赤塚不二夫が逝去。
8月7日の告別式では「私もあなたの数多くの作品の一つです。」との弔辞を読み上げた。この弔辞は7分56秒にも及ぶものであり、手にしていた紙を何度も見ながら時折涙声で読んでいたが、実際にはその紙は全くの「白紙」で、勧進帳のごとく、何も書いていなかったとの報道が一部でなされた。

出典 タモリ – Wikipedia

スポンサードリンク

弔辞 全文

弔辞

 8月2日にあなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに、本当に残念です。

 われわれの世代は赤塚先生の作品に影響された第1世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクター、私たち世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりからわれわれの青春は赤塚不二夫一色でした。

 何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていた時に、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。終わって私のところにやってきたあなたは、「君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住むところがないから、私のマンションにいろ」と、こう言いました。自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。

 それから長い付き合いが始まりました。しばらくは毎日新宿の「ひとみ寿司」というところで夕方に集まっては深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。他のこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、いまだに私にとって金言として心の中に残っています。そして仕事に生かしております。

 赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。麻雀をする時も、相手の振り込みであがると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしかあがりませんでした。あなたが麻雀で勝ったところを見たことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかし、あなたから後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことはありません。

 あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀の時に、大きく笑いながらも目からはぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんの額をぴしゃりと叩いては、「この野郎、逝きやがった」と、また高笑いしながら大きな涙を流していました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。

 あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。

 今、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が、思い浮かんでいます。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外への、あの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。

 あなたは今この会場のどこか片隅で、ちょっと高い所から、あぐらをかいて、ひじを付き、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に「おまえもお笑いやってるなら弔辞で笑わしてみろ」と言ってるに違いありません。あなたにとって死も1つのギャグなのかもしれません。

 私は人生で初めて読む弔辞が、あなたへのものとは夢想だにしませんでした。私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今、お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の1つです。合掌。

 平成20年8月7日、森田一義

タモリさんによると、紙に書いていこうと思っていたが、前の日に酒を飲んで帰ったら面倒くさくなった。「赤塚さんならギャグでいこう」と白紙の紙を読む勧進帳でやることにしたそうです。
出典 タモリに聞いた 「赤塚弔辞」白紙のワケ

勧進帳(かんじんちょう)とは?

勧進帳弁慶像

勧進帳は、如意の渡しでの出来事を基軸にした能の演目『安宅』を元に創られた歌舞伎の演目。歌舞伎十八番の一つで、松羽目物の先駆けとなった作品です。あらすじとしては、源頼朝から逃れてきた源義経一行が、関所で関守の富樫左衛門に止められます。富樫は、山伏姿の義経一行の弁慶に問うたところ、弁慶はこう答えました。消失した東大寺再建のための勧進(仏教の僧侶が衆庶の救済のために行う布教活動)を行っていると。そこで、富樫は弁慶に勧進帳を読んでみるよう命じたろころ、弁慶はたまたま持っていた巻物を勧進帳であるかのように装い、朗々と読み上げたのです。その結果、富樫は義経一行の関所通過を許したのです。

弁慶が「読み上げ」で持ち合わせの巻物を朗々と読み上げる場面の連想から、あたかも原稿を読んでいるようで実は即興でものを言っているさまを、「勧進帳」というのです。

出典 勧進帳 – Wikipedia

勧進帳のどこが「ギャグ」で「落ち」なのか。タモリは言った。
「オレのマネージャーの名前がトガシ」。

出典 タモリ – Wikipedia

まとめ


即興で8分もの間、このような感動的な弔辞を読み上げるタモリさん。著者は、まず、タモリさんの頭の良さに感銘を受けました。個人的には、天才バカボンやおそ松くん等、幼少期に赤塚不二夫さんの作品に絶えず触れていましたが、彼をテレビで拝見することはなく、彼自身については知識はありませんでした。残念ながら、タモリさんの弔辞が、赤塚不二夫さん自身を知ろうと思ったきっかけです。タモリさんの弔辞にて、彼の偉大さが十分伝わってきました。亡くなった後に、知ることになり、著者としては残念です。話は少し逸れますが、著者は、QUEENの曲を初めて聞いた時に物凄い衝撃を受けたのですが、ボーカルのフレディーマーキュリーが既に亡くなっていると知った時、がっくりきたんです。赤塚不二夫さんについては、その時と似たような思いがしています。
奇しくも、おそ松くんを原作としたおそ松さんが今大ヒット中ですね。私も見たときは、現代的すぎてびっくりしましたが、面白くて飽きることなく楽しめました。赤塚不二夫さんの作品は時代を超えて皆を楽しませてくれますね。さすがタモリさんの恩人。偉大です。



スポンサードリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする